PROJECT

05

Japan

New Amusement Park
Development
Project

PROJECT
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日本
新テーマパーク開発プロジェクト

テーマパークで
いちばんのスリルは、
つくる側にある。

BACK GROUND

ジェットコースター、スライダー、クレーンゲーム。こうしたアトラクションやアミューズメント製品の企画、設計、施工も、阪和興業の得意分野だ。日本各地で30年あまりにわたって、集客力のある施設をいくつも生み出してきた歴史がある。だが、その実績を買われて舞い込んだ依頼は、これまでとは明らかにレベルが違った。「テーマパークを、1からつくれ」。

YOSHITADA OKI

YOSHITADA
OKI

大木 美忠
ライフ・アミューズメント部
2002年入社/経営学部 卒

STORY

01

「できるかなあ」。

「ものづくりをコンセプトとしたテーマパークをつくってほしい」。それが取引先からの依頼だった。既存の遊園地に隣接して新たに開業させるもので、コンセプトワークに2年をかけた大切な企画だという。大木と上司は目を丸くした。単体のアトラクションであれば、企画から関わり、演出まで含めて仕上げた経験はいくつもある。しかし今回の依頼は、複数の建物と、10を軽く上回るアトラクションが並ぶ立派なテーマパークを丸ごと、しかも1からつくらなければならない。

「うちでできるのかなあ」。帰りの電車で、上司がぽつりとつぶやいた。大木も同感だった。前例がないことへの不安もあるし、コンセプトをどう着地させるかも難題だ。取引先がイメージしていたのは、どちらかといえば博物館と呼ぶべきものだった。食品や自動車、アパレルといったスポンサーの工場をリアルに再現し、来園者をじっくり回遊させたいという。だが遊園地とは、短い時間で多くの来場者を楽しませるもの。つまり、コンセプトとビジネスモデルに乖離がある。

だが、お客さんの想いが詰まった大切な企画。少しでも話を前に進めたい。自分たちに何ができるかを見極めたい。「とにかく、まずは提案を形にしてみよう」。

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02

博物館か、遊園地か。

3か月後。大木は取引先の前で企画書を広げた。

熟考の末、大木は見学を主とした博物館型ではなく、アトラクションを楽しめる遊園地型の提案へと舵を切った。一方で、実際にものづくりができるワークショップも盛り込んだ。楽しむエリアと、体験するエリア。その両輪によって、「ものづくり」というコンセプトを体現しようという狙いだ。

「だいぶ遊園地に寄せましたね」。取引先は戸惑っていた。覚悟していた通りのリアクションだ。だが大木には、この提案に至った根拠がちゃんとある。特に重要だと感じたのは収益性だった。たくさんの人に楽しんでもらうという遊園地のセオリーなくして、来園数を増やし、きちんと収益を確保することは難しい。そのことを真摯に伝え続けた結果、取引先の表情からも徐々に納得感を感じられるようになってきた。

企画が固まると同時に、大木は慌ただしく動き出した。スポンサーへの企画説明と細かな調整。全国の工場を飛び回っての、アトラクションのイメージ作り。外部の協力会社への発注。1日に6〜7回のミーティングをはしごする日々。だがこの状況でさえ、プロジェクトのピークではなかった。

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03

遊園地に通勤する。

現地での施工が本格化する頃、大木は遊園地のそばに部屋を借りた。

朝が来る。大木は会社ではなく、遊園地に出勤する。施工現場での確認作業をこなし、ミーティングがあれば出かけ、夕方までには戻ってくる。日が暮れると海外のメーカーから社員を迎え、実際にアトラクションを動かしてチェックを行う。オリジナルのアトラクションづくりに付きまとうのは「動かさないとわからない」という宿命だ。動かして初めてわかる問題点を徹底的に潰し込む。人が乗るものだけに、一切の妥協は許されない。

大木にはひとつの誤算があった。スポンサーが持つ、ブランドへのこだわりだ。調理器具をモチーフにしたオブジェには「色や光沢が違う」という指摘があり、微妙なニュアンスを再現するために何度もやり直した。自動車をモチーフにしたアトラクションのデザイン案は「これではクルマとは呼べない」とバッサリ斬られ、大木はカーデザインの経験者を探すために駆け回った。

そんな大木を救ったのは、阪和興業の持つネットワークの強さだ。アトラクションの設計に凝れば凝るほど、手がけることのできる業者は限られる。しかし、「これ、誰ならつくれる?」。大木が社内に呼びかけると、事業部の垣根を越えて必ず答えが返ってくる。こんなにも、阪和興業という会社を心強く感じたことはなかった。

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04

手に入れた「見える数字」と
「見えない自信」。

「できるかなあ」というつぶやきから4年。テーマパークは「できた」。大木が取引先からかけられた労いの言葉は「やっと終わりましたね」。それほどまでに濃い4年間だったのだ。

開園の効果は絶大だった。新しいテーマパークは遊園地全体の集客力を引き上げ、それまでなかなか勝つことのできなかった競合の集客数を、1年のほとんどで上回るという成果を叩き出した。来園者が大木のイメージした通りに集まり、楽しみ、それが数字に出る。ここに至って、大木はようやく胸をなで下ろした。

前例のないこのプロジェクトは、大木はもちろん、部署そのものもタフに鍛えてくれた。実は同時期、部署では「日本最大の観覧車をつくる」というもうひとつのビッグプロジェクトも進行させていた。売上規模でいえば部署史上1位・2位の2大プロジェクトを、どちらも完遂した自信。テーマパークを訪れた人たちが持ち帰る大切な思い出のように、大木たちの得た自信にもまた、かけがえのない価値がある。

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