PROJECT

06

Japan

House Builder
Proposal Acquisition
Project

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日本
新規ハウスメーカー案件獲得プロジェクト

総力戦で勝ち取った
全国規模の一大コンペ。

BACK GROUND

世界中から品質の高い木材を輸入している阪和興業。建材メーカーや木材問屋に販売するほか、住宅部材へ加工してハウスメーカーにも納めている。国内の新設住宅着工数が減少していく時代に、売り先であるハウスメーカーへの出口戦略は大きな課題だ。そこに舞い込んできた、全国規模の大型コンペ。絶対に外すことのできない、総力戦が始まった。

YUTA TANAKA

YUTA
TANAKA

田中 雄大
木材第二部
2002年入社/経済学部 卒

STORY

01

冷たいリアクション。

田中は、とあるハウスメーカーの会議室にいた。先方の取締役、技術本部長、工務室長という、錚々たる顔ぶれが揃っている。紹介によって実現した貴重な売り込みの機会だ。田中は阪和興業から木材を仕入れることのメリットを熱く語った。だが、先方の態度は冷たいままだ。

もともとそのハウスメーカーには、別の商社が10年以上も前から木材を納めている。「そこだけじゃなくて、阪和興業のサービス・パフォーマンスも見てください」というのが田中のアピールだったが、どうやら先方はあまり乗り気ではなく半信半疑。

もちろん田中も、とんとん拍子に話が進むとは思っていなかった。まずは取引を脇に置いてでも、いろんな話ができる関係性を築くこと。会話の中から先方の困りごとを目ざとく拾い上げ、阪和興業の力で解決してみせること。「阪和興業に相談すれば、答えが出てくる」。そう認められることが第一歩だ。その最初の機会は、田中が「ハイテンションボルト」の話題を出した時にやってきた。

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02

その一言を引き出すために。

ハイテンションボルトとは、簡単にいえば強度が高いボルトのこと。当時、需要の高さに反して供給が少なく、業界では大きな問題になっていた。そのことを何気なく口にしたところ、先方の目の色が変わった。「実は、うちもそうなんです」「何本でもいいから欲しくて」というリアクションが返ってきたのだ。

勇んで会社に戻った田中は、ボルトを扱う社内の他の部署に打診した。「どうにか調達できると思う」。その朗報を、田中はハウスメーカーに伝えた。もちろん先方は大喜び。ハイテンションボルトは、記念すべき最初の納品物としてハウスメーカーに渡った。そして、これをきっかけについに木材の納入へ……と、話が進むほど甘くはない。もちろん感謝はされたものの、それはそれ、これはこれ。田中も気落ちはしなかった。新規営業とは「報われない愛のようなもの」というのが田中の持論。

それからも田中は、木材とは別ジャンルの困りごとに応え続け、コツコツと信頼関係を築いていった。そして初訪問から半年後、ついにその言葉を引き出した。「木材をお願いします」。一部エリアの木材の納入を任されたのだ。

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03

天下一武闘会、始まる。

とうとう木材の初仕事を任されるにあたり、田中はまずコストの低減と現場の合理化を押しすすめる。さらに、該当エリアの工務長や現場監督を集めて、業務フローのシミュレーションをシビアに繰り返した。ここで失敗しては元も子もない。既存の取引先に比べていかに阪和興業の仕事が優れているか、コストでも品質でも感じてほしい。

さらにまっさらな目で現場を見直し、手間や無駄をできるかぎり排除した。人手不足が叫ばれる建設業界では、働き手の負担をできるだけ減らすことが生き残りにつながる。「阪和興業が入って、良くなったね」。そんな評価をぜひとも獲得したい。

仕事の滑り出しは上々だった。「問題ないようですね」。言葉そのものはそっけなかったが、先方も満足げだ。それを裏付けるように、特大のチャンスが阪和興業に持ち込まれた。「国内全エリアでの発注先を一本化したい。そのためのコンペを開催します」。ハウスメーカーいわく「天下一武闘会」。それも、既存の商社と阪和興業の2社による、いきなりの決勝戦。

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04

オンラインの総力戦。

コンペとは情報戦でもある。コミュニケーションの濃さがものをいう。しかしちょうどその頃、世間はコロナ禍の真っ只中にあった。会って話すことが難しい。可能な範囲で網を張り、些細なことにも目を光らせるしかない。

集まった情報をもとに提案を練り上げていく過程で、田中が心がけたのは社内の意見を聞くことだった。提案する本人は、自分のプレゼンテーションに思い入れを持ち、過大評価をしてしまう。改善すべき点があっても知らぬ間に目をつぶり、ネガティブな意見には耳をふさいでしまう。そんな無意識の落とし穴を避けるため、田中は気持ちをできるだけフラットに保ち、セカンドオピニオン、サードオピニオンを周囲に募った。いくつもの声をもとに提案を見直し、軌道修正を加えていく。

コロナ禍ゆえに、プレゼンの場に臨めるメンバーもごく少数に制限された。田中は参加できない役員にも「時間を空けておいてほしい」と頼んだ。先方からリクエストがあれば、すぐさまオンラインで役員の判断を仰げるようにするためだ。居場所はバラバラだが、それぞれの力を束ねての総力戦。プレゼンから1か月後、田中の元にもたらされたのは「阪和興業、勝利」の知らせだった。

田中は2002年入社。大ベテランと呼ばれてもおかしくない年次だ。それでも「まだまだ学ぶことはある」と田中は言う。「これで十分と安心した瞬間、進歩はなくなってしまうから」。だからこそ、周囲の意見に進んで耳を傾けることができる。誤りを認めて、軌道修正できる。その姿勢があったから、そして、その姿勢に応えてくれる阪和興業という環境があったから、もぎ取れた勝利なのだろう。

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