Interview社員インタビュー
トレンドの先を読み、市場をリードする。
コロナ禍の中国から大ヒットを生んだ、
発想と執念

山本 雄己Yamamoto Yuki
2010年度の入社後、鉄鋼の専門部署で海外を相手に輸出業務に携わる。2017年に中国に赴任し、コロナ禍を経て帰国。現在は薄板グローバル課の課長としてリーダーシップを発揮するほか、海外メーカーへの出資プロジェクトによる事業拡大なども手掛けている。

阪和の魅力は人。
ぜひ直に会ってその温度を感じてほしい
就職活動を始めた当初は業界を限定していませんでしたが、さまざまな企業を見るうちに、自社でモノを持たず人間力だけを武器に世界のフィールドで戦っている商社という業界に興味を持ちました。人と人とがぶつかり合って切磋琢磨していく、そんな環境で自分も成長したいという思いが芽生えてきたんです。ただ、総合商社か専門商社か、扱いたい商材は何か、といった希望は何も定まっていないまま、いろんな商社を受けていました。
そんな中で阪和に入社を決めたのは、人の魅力に惹かれたからです。説明会や面接で会った人たちがみんな面白くて、ありのままに話をしてくれる姿に人間味を感じたんですよね。内定をいただいた後も「納得いくまで社員と面談して、入社するか決めて構わないよ」と言ってくれたので、何人かの社員さんと話をして、ちゃんと納得感を持って決断することができました。
何をするかよりも、誰と仕事をするか、のほうが自分にとって大事だったんだと思います。当時はまだオンラインでの説明会や面接はありませんでしたが、足を運んで実際に会って話すことができたので、自分にとってはむしろ良かった。今、就活をしている皆さんにも、ぜひ直接足を運んで、画面越しではなくリアルな社員に会って話して、生の温度感やフィーリングを感じ取ってほしいですね。
入社してからは、海外営業部という部署に配属されました。担当業務は薄板(うすいた)の輸出。薄板とはその名のとおり薄く延ばされた鋼板で、自動車や家電、住宅など、さまざまな用途に利用される資材です。貿易業務なので1年目から当たり前のように海外出張に行ってましたね。もともと世界を相手に仕事がしたいと思っていたので、うってつけの環境だったと思います。
入社8年目の頃に、中国の広州にある現地法人(広州阪和貿易有限公司)への出向が決まり、鉄鋼ならびに新規アイテムの拡販というミッションを任されました。自分が営業活動をするだけでなく、現地社員のマネージャー的な役割も担っていたので、この頃からマネジメントも経験するようになりました。
帰国後は薄板グローバル課の課長に就任し、マネージャーとして部下の育成などに注力しています。阪和は人の個性や考え方が尊重される風土があり、マネージャーといってもそのスタイルは十人十色です。プレイイングマネージャーとして自らガンガン営業する人もいれば、自分は前に出ずに部下たちを指導する司令官タイプの人もいる。私は後者に近くて、営業活動や交渉などは部下に任せつつ、いろんな経験を通じて成長できるように後方からサポートしています。

「ゼロコロナ政策」による窮地を、
新たな視点と地道な努力で打開した
私にとって忘れられないのは、広州に駐在していた頃の経験です。2020年1月、新型コロナウィルスのパンデミックが起こりました。私が広州にいたのは、その真っ只中。「ゼロコロナ政策」によって都市は封鎖され、経済活動が大幅に制限されました。外出も会話も自由にできないような環境下であらゆる産業が停滞し、我々のメイン商材である鉄鋼のビジネスも、全く動かない状況に陥ってしまったんです。
だからといって手をこまねいて見ているわけにはいきません。商社としてできることはないか。こんなピンチだからこそ、チャンスがあるはずだと。当時、中国国内のお客様から「マスクや衛生用品を日本から持ってきてほしい」という要望がありました。マスクは、中国でも圧倒的に不足していたんです。それを受けてピンと来たのが「逆に中国から何らかの製品を日本や世界に向けて輸出できるんじゃないか」ということです。世界で最初にコロナ禍の猛威にさらされた中国だからこそ、その対策は他国よりも一歩先を行っているはず。それを世界に発信すれば、新しいビジネスに繋がるんじゃないかと思ったんです。
最初はマスクや体温計などを中国国内から仕入れ、世界各国に輸出するところから始めました。鉄鋼と比べて単価も小さく、商材も商流も全く異なる中でゼロからのスタートでしたが、世界各国から大量の引き合いが来て、手応えを感じましたね。
ですが、当然ながら競合他社が次々と参入して競争は激化してきました。ただ、その頃には私たちは一足先に、次の商材に着目していたんです。それがサーマルカメラ。日本でも商業施設や病院などの出入口に設置されていた、目の前に立つだけで体温を感知できるあの機械です。当時の日本ではまだほとんど製造されていなかったので、この製品なら日本市場でも反響があるはずだと思ってすぐに販売活動を開始しました。
「商社の仕事はモノを右から左に流すだけ」というのはしばしば言われることです。だけど、こうしたトレーディング業務にはさまざまなリスクや課題が潜んでいるので、そう簡単にはいきません。特に初めて取り扱う商材をスムーズに流通させられることはまずないと言っていい。今回のサーマルカメラも例外ではなく、日本に輸出するためには電気製品関連の法律上のハードルをクリアしなくてはなりませんでした。もちろん、鉄鋼の専門部署である私たちにそんな知識はなく、役所への届け出、法規制などをイチからみんなで勉強しました。日本語・中国語それぞれの分厚い書類に目を通して、一つひとつの項目を確認するんです。まだ世に出たばかりの製品なので、メーカーもお客様もどんな規制に引っかかるのか分からない。それを私達が調べてメーカーにフィードバックし、法に抵触しないよう仕様を変更したり必要な書類を揃えたりするという、気が遠くなるような地道な作業を繰り返しました。
その苦労が実を結び、中国製のサーマルカメラは日本で大ヒット。ご存知のようにさまざまな施設に導入され、コロナ時代のスタンダードになりました。売れたことももちろん嬉しかったんですが、誰かの引き合いではなく、自分たちのアンテナで「次に来るトレンド」を先取りし、どこよりも早く仕掛けることができた。これぞまさに商社ビジネスの醍醐味で、非常にエキサイティングでしたね。

念願だった、中国発信でのヒット商品。
支えてくれたのは、広州阪和の社員たちだった
実は中国に来たときからずっと、自分たち発信でメイド・イン・チャイナのヒット商品をつくりたいと思っていました。私の駐在には、既存の鉄鋼ビジネスの拡大だけでなく、新規アイテムの拡販というミッションもあったからです。
広東省に深センという世界有数のテクノロジー都市があって、そこではかつてのシリコンバレーのように次から次へとベンチャー企業が誕生していました。以前その街を視察したときに、とあるベンチャー企業の社長とお会いしたんです。当時は起業したばかりで零細の中の零細というぐらいのスモールスタートだったのが、瞬く間に世界に名だたる大企業に成長したのを目の当たりにして。彼は起業当初に手掛けていた事業だけに留まらず、次々に事業領域を広げ、今の成功を手に入れた。その姿に刺激を受け、私も商社パーソンとして鉄鋼だけにこだわるのではなく、普段からアンテナを幅広く広げていかなくてはならないと痛感しました。
コロナ禍だろうがなんだろうが、求められた成果は絶対に上げたいと思っていました。サーマルカメラのヒットで、新規アイテムの拡販という責任を果たすことはできたかなと思っています。やはりこちらも競合が増え、コロナ禍の収束などもあって供給過多で値崩れしてしまいましたが、それまでの間に十分な先行者利益を獲得することができました。
あのとき私が頑張り抜くことができたのは、独りではなかったからだと思います。他の駐在員や現地の社員が、私の言葉を真剣に聞いて、頑張ってくれている。彼らと同じチームで仕事をする以上、私もそれに応えなくては、という思いがありました。お互いにモチベーションを刺激し合って、みんなで勝ち取った成果だったと思います。
パンデミック発生から都市封鎖、行動制限と、あまりに急な環境変化だったのでローカルスタッフたちへの悪影響を懸念していましたが、彼らはもともと明るい人ばかりで、すごく良い空気感で仕事をしてくれた。そんな彼らの姿勢に救われましたね。私が日本との行き来で隔離生活をしなければならないときも、オンラインでの会話やチャットでどことなく気遣ってくれて。いいメンバーに恵まれていたと、今でも思います。

マネージャーとしてチームを育て、
いずれは経営に近づきたい
短期的な目標は、課長として、チームで新たなヒット商材を生み出していきたい。やっぱり、爪痕を残したいんですよ。世界の動きとダイナミックに連動するのが商社ビジネスの面白さ。新聞や雑誌を常にチェックして、面白そうなニュースを見つけたら部下に「ここで商売してみれば?」って投げかけることも多いです。阪和はとにかく自由だから、型にはまる必要はなく、自分のアイデアと行動次第で何でも売れるし、他部署との連携もどんどんできる。もちろん結果は求められますが、一人ひとりのやりたいことを強く後押ししてくれる、誰もが主人公になれる会社です。
阪和には、本当にいろんなタイプの人がいます。明るい人もいれば、おとなしい人もいる。だけどみんな、仕事への情熱は共通していると感じますね。私はあんまり感情が表に出るタイプじゃないと思われがちなんですが、決めたことは絶対にやり遂げる、負けず嫌いな猪突猛進型なんです。最初はお客様に「阪和さんらしくない」って言われますが、一緒に仕事をしていると「見た目はらしくないけど、やっぱり中身は阪和さんでした」って。多分、にじみ出てるんだと思います(笑)。
長期的には、より経営に近づく立場にステップアップすることが目標ですね。例えば部長職や海外の現地法人の代表など、視野を広く持って会社を動かす仕事にトライしてみたい。そのためには自分一人が頑張ればいいのではなく、チームで成長していかなければなりません。メンバーには外国籍の社員もいれば、海外生活の長い社員、年齢の離れた社員もいる。トップダウンで自分のやり方を押し付けるんじゃなくて、ちゃんと本人の考え方、価値観を丁寧に聞いた上で、必要に応じたアドバイスをする。チームのポテンシャルを最大限に引き出すマネジメントができるよう、絶えず自己研鑽を続けていきたいです。
