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仕事だけじゃ、わからなかったこと。

仕事も、人生の一部。さまざまな転機を迎える中で、何かを手にすることもあれば、手放すこともあるかもしれません。阪和興業で働く3人の社員が、仕事だけじゃない、それぞれの人生のターニングポイントで何を感じ、何に気づいたか。座談会形式で話してもらいました。

Member

【左】

TAOKA Keiko

2015年度に一般職として入社後、2024年に総合職へ転換。趣味の海外旅行ではアジアや欧米など、さまざまな国を訪問。ワーケーションで人生を充実させている友人の姿に触発され、自らも自由で多様な働き方の実現を目標にしている。

【中】

MATSUDA Asuka

2018年度入社。グローバル課として現在は厚板・パイプなど鉄鋼製品の輸出や、三国間取引に携わる。2児の母で、仕事をしながらも子どもとの時間を大切にすることが信条。自分自身が親から与えてもらったように、子どもにたくさんの選択肢を与えられるよう、育児と仕事の両立に励む。

【右】

KAWAGUCHI Taiga

2011年度の入社以来、営業として金属系のスクラップのトレーディングや鉄鋼製品の海外向けの輸出を担当。2021年に経営企画部に異動してからは、阪和興業の経営計画の軸となる中期計画の策定や、投融資案件の推進、株主・投資家向け情報の発信等を担う。子育てとの両立を目指して、育児休暇を取得した経験を持つ。

海外、キャリア、待遇。働く上で重視していること

松田この座談会のテーマ、「仕事だけじゃ、わからなかったこと。」ということで。仕事に限らない一人ひとりの人生設計のこと、それを実現させるために会社のどんな制度を活用したか…みたいな話をしてほしいそうです。
田岡じゃあまずは、各々の入社までの経緯から話しましょうか。私は昔から海外旅行が好きで、何ヶ国も旅をしていくうちに自然と海外に関する仕事がしたいと思うようになって。同じように働くなら給料が良いところがいい! と思って阪和へ。最初は一般職で入社して輸出入業務を担当したので、希望通り海外と関係のある仕事ができました。
松田私も海外に興味があって、日本の大学を卒業した後、アメリカの大学院に進学しました。でも就職は日本でしたいと思うようになって。海外在住者などが参加できるボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)っていう就活イベントで、阪和を見つけました。海外とつながりのある仕事がすぐにできて、アクティブに働ける会社がいいなと思っていたので、阪和は希望に合ってましたね。
川口高校でサッカー部を途中で辞めて、友達とフットサルのチームを作ったときにチーム運営の楽しさを知って。プレイヤー×運営っていう経験を商社の仕事に結びつけて就活してました。実際にはなんとなく商社カッコいいなとか、給料高いじゃんっていうのも本音でしたが(笑)。
松田給料は大事ですよ! 就活の時点ではまだライフプランとかは見えてなかったけど、結婚や出産をしても夫に経済面で依存するのではなく、自分で収入を得られるようにしたいと強く思っていました。阪和に決めたのは、待遇の良さも大きいです。
田岡みんな同じで良かった(笑)。松田さんは、海外ではなく日本で仕事をしたいと思ったのはどうしてなんですか?
松田最初は海外で日本語教師になろうと思ってたんですよ。大学院ではティーチングアシスタントの仕事をして、お給料ももらって。だけど教育って、終わりのない仕事なんですよね。私は負けず嫌いでこだわりが強いので、本気になると土日もずっと仕事しちゃう。そうなると自分の時間が持てないじゃん! って。私にとっては、結婚や出産後も続けられる仕事じゃないかも…と思ったんです。
川口海外だと英語で勝負し続けないといけないけど、日本だったら英語力も活かせるし、アドバンテージは大きいですよね。
松田そうそう、純粋にキャリアアップしやすいと思ったんですよ。アメリカだと自分の専攻分野と紐づいた職業しか選べないから、幅広い業種から自由に選びたいという気持ちもあって。川口さんはもともと営業で、海外にもいろいろ行かれてたんですよね。どんな流れで経営企画に異動したんですか?
川口自分で希望したんです。営業でトレーディングをしている中で、事業投資の必要性を感じるようになって。営業でも投資案件に関わることはできるんですが、経営企画部の方がより多くの案件に携われるなと考えました。異動が叶って嬉しかったですね。

自分の殻を破りたい。決意した総合職転換

川口田岡さんは、一般職から総合職に転換されたんですよね。
田岡2023年に総合職転換の試験を受けて、2024年から総合職になりました。基本的には、一般職のときと同じ部署で総合職として働く流れが多いそうで、私も同様でした。
川口どんな背景があって転換を決めたんですか?
田岡実はプライベートでの出来事がきっかけで。北海道のニセコにスノボをしに行ったときに外国人の女性と友達になったんです。彼女は世界的なIT企業で働いているんですけど、働き方や仕事への考え方が自分と全然違っていて。スノボのために1ヶ月ぐらい山にこもっていて、仕事はリモート、終わったらスノボっていう自由すぎるワークスタイルで働いていたんです。やりたいことと仕事を両立している姿がすごく輝いて見えて。それで刺激を受けて、私も自分の殻を破ってみたいと思うようになりました。
松田ちょうど、会社としても女性の総合職を増やそうっていう流れもありますよね。
田岡そうですね。もともと上司が「総合職になってみない?」って提案してくれていて。私の部署は女性が多くて、上司としても女性の営業を増やしたいという思いがあったので、背中を押してくれました。
川口まだ始まったばかりだと思うけど、やってみてどう?
田岡長く在籍している部署なので、ギャップは特になかったですね。けど、一般職時代には見えてないところも多かったんだと気づきました。以前は営業さんに対して「なんでこんな大事な情報を教えてくれないの」とか「なんでこんなギリギリに言ってくるの」とか、不満に思うこともあったんです(笑)。でも逆の立場になると、やっぱり営業側にも事情があって。反省しましたね。
松田でも田岡さんは一般職の方々が求めてる情報や優先度が分かってるから、的確な指示が出せますよね。双方の負担を軽減できるから、すごい強みだ。
田岡はい、それは大きいです。ここ数年で総合職への転換は少しずつ増えていて、毎年数名の人が転換しています。それによって、総合職と一般職のコミュニケーションが全社的によりスムーズになるんじゃないかと思います。

出産と育児。それぞれの過ごし方

松田私は今、子どもが2人いて。当時は産前・産後休暇や育児休暇を取得したり、今は時短勤務、時差出勤を活用したりして仕事と子育てを両立しています。
田岡どのくらいの期間、育児休暇を取得したんですか?
松田2人で合計2年間でした。ただ1人目のときはコロナ禍の緊急事態宣言下で、カフェに行ったりとか子どもを連れて友達と会うとか、そういうのが一切できなくて。子どもとずっと家にいて、話し相手もいない。感染リスクがあるから親も頼れないし夫の仕事も忙しい時期だったので、精神的に大変でしたね。川口さんは育児休暇を取ったとき、だいぶエンジョイしてたって聞いたんですけど(笑)。
川口すみません、最高でした(笑)。僕は2人目が生まれたとき、初めて5週間の育児休暇を取得して。妻も休んでいたので、せっかくだからこの期間でしかできないことをしようよって、車で行ける範囲でしたけど、家族4人でいろんなところへ旅行しまくりましたね。
松田男性の育児休暇って、世の中でもだんだん増えてきてる印象ですけど、すんなり取得できたんですか?
川口正直、ちょっと不安はありました。だから早い段階で上司には最初の相談はしていたんです。当時は部署の役割や責任が増えて時期で、1人分の戦力が抜けるので上司も悩んでいる様子でした。けど、どこかで「受け止めよう」って思ってくれたんだと思います。しばらく経って上司に改めて相談したら、すぐに快諾してくれて。周りにも子育て世代が多いので、共感して応援してくれる人が多かったですね。
田岡その5週間は完全に仕事をシャットアウト?
川口そうですね、会社のパソコンも一度返却して完全に仕事は切り離しました。復帰のタイミングが繁忙期だったので、一気にフルスピードまで引き上げるのが大変でしたけど。今は引き続き育休を取っている妻が中心になって子どもを見てくれていますが、僕も帰宅後や週末は一緒に面倒を見ている感じですね。
松田私は2人目が7ヶ月を迎えたあたりで復帰しました。ちょっと早めだけど、私の場合は育児をしながらでも仕事してる方が自分らしくいられるし、イキイキできるから。もちろん仕事しない方が時間的にも体力的にも絶対に楽なんですけど、それは自分に合わなかった。夫の仕事が落ち着いて、夫婦でうまく分担できるようになったのも大きかったですね。

人生の転機を経て、変化や感じたこと

田岡総合職になって業務量も増え、結果を求められるので、プレッシャーはあります。まだまだ慣れないけど、この半年の間ですでにベトナムや中国にも出張して、やっぱり一般職ではできない経験ができるのは楽しいです。私の担当する生活資材って、割り箸やコップ、化粧品まで何でもアリで。アンテナを張り巡らせて、可能性のありそうな商材をどんどん開拓して商社パーソンとしての幅を広げていきたい。
川口いいですね。営業はすごく楽しいしやりがいもあるので、ぜひどんどん挑戦して活躍してほしいです。
田岡ありがとうございます。一般職のキャリアを活かして一般職と営業(総合職)との境界を埋めていきたいとも思っているんです。「それは一般職に全部頼んじゃって大丈夫だよ」とアドバイスしたり「ここまでの業務は営業で、ここから先は一般職へ」といった業務分担の見直しを提案したりしています。営業が営業としてやるべきことに注力できるように、その橋渡しができるのは私の付加価値だと思っています。
松田私は自分の人生にとって仕事が大切なんだなってことに気づきました。自分自身のためだけじゃなく、子どものためにも。両親が私にしてくれたように、旅行や留学などの人生が変わるような経験を子どもにさせてあげられるようになりたい。いずれは夫や子どもと一緒に海外駐在するのが目標です。
田岡駐在に行けるようになる年次と、出産や子育ての年齢って重なりがちですよね。会社がそこを手厚くサポートすることで、女性総合職ももっと増えていくんじゃないかな。社員の家族も含めた長期的なサポートは必要ですよね。
松田阪和は海外に駐在する家族の生活をサポートする制度も充実しているけど、女性社員が家族ごと駐在するのは前例がないんですよね。夫の海外赴任に伴って妻が仕事を辞めて一緒に行くとかはよく聞くけど、その逆のパターン。夫婦のどちらかがキャリアを止めないと実現できないっていうのも悔しいから、どうにかできる方法を模索しているところです。
田岡ライフプランの実現とキャリア形成の2軸で社員の人生を後押ししていく仕組みづくりは、会社としても重要なテーマだと思います。今はまだ発展途上だけど、少しずつ変わってきていますよね。
川口そうやって変わり続けていくことこそが阪和らしさと言えるんじゃないでしょうか。僕、子どもが生まれた頃に上司から「急に責任感が増したね」って言われたことがあるんです。自覚は無かったけど、きっと僕も変わったんだと思う。これからも妻と協力して、子育てと両立しながら新しい仕事にチャレンジしたいですね。経営企画としても、やりたいことはまだまだたくさんある。立ち止まることなく前進していきたいです。

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