Special Feature特別編集
阪和図鑑
~中尾 領佑~

ゲストを一つの図鑑と捉え、ページをめくるようにその魅力を紐解きながら、仕事の生態に迫っていく企画「阪和図鑑」。
経営企画部の中尾領佑さんをゲストに招き、優れた成績を収めた営業時代や転機となった先輩との出会い、資格取得などの歩みを辿りながら、
会社全体へと活躍の舞台を広げ、挑戦を続ける今の姿に迫ります。
※この記事の内容はPodcastで、生の声で聞くことができます。併せてお楽しみください。
中尾 領佑NAKAO Ryosuke
2011年入社。営業として10年間のキャリアを経て、現在は中小企業診断士の資格を活かし、経営企画部で事業戦略や経営計画などの策定に携わる。2児の父。
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「阪和図鑑 ~中尾 領佑~」 -
記事にはならなかった部分も、ほぼ編集なしですべてPodcastでお届け。
1 : 営業はつらいよ。
小さな仕事を地道に積み重ねた若手時代
入社後に配属された営業部では、どのようなお仕事をされていたんですか?
鋼管販売部という、鋼のパイプを販売する部署にいました。鋼管は油田から石油を引くためのめちゃくちゃ大きなパイプもあれば、この机に使われてるような小さなパイプまで様々なものがあるんですよ。私はおもに製造業のお客様に対して、パイプなどの材料をご要望に応じた形に切ったり曲げたりした状態で納入する仕事をしていました。
普段は気が付きにくいけど、僕たちの暮らしのすぐ近くにある製品なんですね。
中尾さんが阪和興業に入社した動機って何だったんですか?
もともと自分が好きなものに関わる仕事がしたいと思っていたので、商社は考えてなかったんですよ。それがある日、大学の掲示板に「来たれ! 阪和興業」って書かれた白黒のポスターが貼ってあって。なんて怪しい会社なんだと思ってスルーしていたら、就職支援課の方から「良い会社だよ」と教えてもらったんですよ。商社も身近なものを取り扱う仕事なんだと知って、選考を受けました。アメフト部出身なのでタフさには自信があったんですが、好きでやってるスポーツと違って仕事でお金をいただくのは本当に難しい。それが入ってまず身に染みたことですね。
どんなことに難しさを感じましたか?
まず前提として、嫌がられたら買ってもらえない。価格や品質も大事なんですが人の好き嫌いはもっと大事で、「好きだから買う」ということよりも「なんだか嫌いだから買わない」はとても頻繁に起こるんですよ。最初の頃に僕が嫌がられた理由は、始業時間ピッタリに電話していたから。そこは工場が一番忙しいタイミングで「忙しい時間帯に電話してくるなよ!」って。まずは相手の立場や状況を推し量り、配慮ある行動を取ることで関係性を築いていく。価格や品質で戦うのはその先です。

信頼関係が大事なんですね。
お客様にとって、取引相手に悩みを相談するのは弱みを見せちゃうことでもあるんですよ。だから最初は話してくれないけど、関係性ができれば変わってきます。僕の場合、「誰もやりたがらない仕事をください」ってストレートにお願いをしたら「そんなお願いしてくる奴いないから、試しにやってみろ」って。でも後で聞いたら、そのお客様も本当は頼みたかったらしいんですよ。でも自分から頼むと足元を見られるから言えなかった、と。僕から切り出したことで、次第に信頼されて仕事が増えていきました。
どうやって関係づくりをしていったんですか?
簡単にはいきませんでしたよ。「忙しい時間帯に電話してくるな」っていうのも、最初からそう言ってもらえたわけじゃないんです。だって、初対面からいきなり忙しいって言って電話切らないですよね。だから初めは何で切られたのか分からなかったんですよ。諦めずに掛けていたら、ある日「忙しいって言ってるだろ」って。それで初めて、忙しいから怒ってるんだって分かったんです。そういうことを繰り返していくうちに、次第に感覚で分かるようになっていきました。
やっぱり、「営業はつらいよ」?
そういう面もありましたけど、面白さのほうが大きかったですね。当時、同期が僕より先に初受注を獲って。悔しくて、どうやったら売れるのかをその同期に聞いて真似しました。それで自分も売れると、同じ方法で2社目にも売ろうとか、会社ごとにやり方をアレンジしよう、とかいろいろ試したくなる。最初はつらいこともあるけど、クリアできれば面白くなってきて。つらいと感じることがだんだん減って、ただ面白いだけになりましたね。
どんな売り方だったんですか?
商売って、競争相手がいなければ受注できるんです。競合がいない仕事っていうのはつまり、儲けの小さな、誰もやりたがらない面倒な仕事。例えば製品の仕様が「このメーカーの、この工場で作った材料で、この書類がついてなきゃいけない」みたいな複雑な商品を「2個だけ欲しい」って言われたり。だけど小粒でもたくさんやれば、大きな量になります。そういう仕事をかき集めていましたね。そして、他社が嫌がることばかりを引き受けていると、お客様から「中尾ならやってくれるらしい」っていうイメージが人伝いに浸透していく。次第に「面倒な仕事は中尾に」というイメージから「中尾なら困ってることを解決してくれる」というイメージに変わっていき、自然と仕事が集まってくるようになったんですよ。だから最初こそ苦労はしたけど、最終的には成果につながった商売のやり方だったと思います。
2 : 個からチームへ。
さらなる成長のために受け入れた、大きな変化
それから年数を重ねて、順調に自身の成績を伸ばしていった?
はい。当時、僕が尊敬していた先輩は個人の営業力がものすごく強くて、僕自身もいかに個人として成長できるかにこだわっていました。その結果、知識や経験とともに成績も上がり、関わるプロジェクトの規模も大きくなって、仕事がさらに面白くなってきた。発言力もついてくるし、業界でも顔が知られてくるし……でもそうなると「俺に言えば何でも手配できるのに」「ここはもっとこうした方がいいに決まってる」みたいなエゴが強くなってきて。要は調子に乗っちゃってたんですよね。
個人の力に執着するあまり、視野が狭くなっていってた。
それで8年目の頃、成績が頭打ちになってきたんです。でもどうしたらいいか分からなくて。そんなとき、いろんな人を巻き込んで大きなビジネスに取り組んでる先輩の存在が目に留まって。あまり話したことはなかったけど、もういきなり「どういうことを考えてやってるか教えてください!」とお願いして、初めて飲みに行ったんですよ。するとその先輩から「お前、ずいぶん成績上げてるらしいな。多分、俺よりすごいんだろうな」って。ただ、そのあとに「でも俺は、チームで戦ったら絶対にお前には勝てると思う」って言うんですよ。何を~!? みたいな感じなんですけど(笑)。
それがターニングポイントだったわけですね。
今は阪和インドネシアにいる田島さんっていう方で。田島さんは部署の垣根を超えて仲間を集めて、一緒に協力体制を作ることができる人でした。言葉だと簡単そうに聞こえますが、指揮系統が異なる複数の部署からメンバー同士を連携させて、情報共有しながら機能的に動かすって、すごく難しいことなんですよ。当時の僕にはその力を持っていないということに、田島さんの一言で気づいてしまって。組織の力を活かせるようにならないと、自分の成長はここで止まってしまうんだなって直感しました。一緒に飲むのは初めてだったのに、もっと話が聞きたくて、飲みに行った初日から遅くまで話に付き合ってもらってしまいましたね。

これまでの自分のやり方に固執せずに、そんな簡単に変われるものなんですか?
それが、飲んだ翌日にはもう変えようとしてたんですよ。それまでの僕は社内でちょっと声を掛けづらい怖い先輩みたいな存在だったんですが、言葉や振る舞いを優しくするように心がけるところから始めました。周りからは「なんであの人、急に丸くなったの?」みたいに思われてたと思います(笑)。
これまでは人の見方が「自分と比べてできるかどうか」といった比較だったんです。でもチーム視点だと、自分よりできないからダメとかじゃなくて、「彼はこれが得意だからこの仕事をお願いしよう」「彼女はこれが苦手だけど、こんな能力があるからこの業務を頼んでみよう」というように、客観的に人の能力を把握するようになりました。
自分が態度を変えれば、相手の態度も当然変わる。壁がなくなって、相談やアイデアも持ちかけてくれるようになったし、人がどういう考えを持っているのかがより鮮明に分かるようになりましたね。
急に考え方を変えたことに、自分自身は違和感を感じたりはしなかったんですか?
そうですね。そこは僕、けっこう合理的で。あくまで目的は結果を出すことなんです。個の力だけでずっと結果を出し続けられるなら、これまでどおりのやり方でいい。でもチームでより大きな結果を出すためには、以前のやり方じゃ通用しない。過去の成功体験にしがみついたせいで目的が達成できませんでした、っていうのが一番ダサいじゃないですか。結果を出すためにスタイルを変えようと決めたんです。だから僕の中では、何もブレてはいないですね。
3 : コロナをチャンスに。
中尾領佑として会社に貢献していく道を選ぶ
コロナ禍が仕事に与えた影響は大きかったと思いますが、
当時のことを振り返るとどうでしたか?
入社から10年目を迎え、ずっと同じ部署にいたのでそろそろ異動したいと思っていたタイミングでコロナ禍になって。在宅勤務が中心になり、お客様のところに営業に行けなくなったのが一番大きな変化でした。人と接する仕事が好きだったので、つまらなさは感じてましたね。一方、家族との時間が増えたことは貴重な機会だと思って過ごしていたんですけどね。
突然、立ち止まる時間ができた。
そうですね、自分自身のことや会社の将来をじっくり考える時間を持つこともできました。コロナ禍で先の見えない中、この先もずっと営業職でやっていくのか、それとも違う仕事をするのか、いろんな考えが巡って。この時間をチャンスと捉えて新たなスキルを身に付ければ、自分の選択肢が広がる。そう思って、仕事外の時間で資格の勉強を始めました。僕の決意に家族が理解を示してくれたのはありがたかったですね。僕と妻は社内結婚だったので、阪和興業のこともよく分かっているし、僕の働き方や考え方も知っていたから。半年間勉強して、無事に一発合格することができて良かったです。
どんな資格ですか?
中小企業診断士という、中小企業の経営コンサルティングを行う国家資格です。僕のお客様には中小企業の経営者が多いんですが、そういう方って経営のことを相談できる相手があまりいないんですよ。そこで自分が経営課題の相談相手になれれば、営業としてワンランク上の存在になれると思って。また、お客様だけじゃなく自社の経営についても理解度が増すんじゃないかと考えていました。

資格取得後、仕事上ではどんな変化がありましたか?
営業スキルと資格スキルのシナジーで、机上の空論ではない実のある提案ができるようになりました。例えば工場の工程改善によるコスト削減を提案するとします。お客様からすると「言うのは簡単だけど、どうするの」ってなりますよね。そこで教科書的な手法の紹介に加えて、営業時代の人脈を活かして他社工場の見学会を企画し、改善のヒントを得る機会を設ける。競合他社の見学なんて普通はできないけど、地方など商圏が衝突しない会社となら仲良くやれます。お客様も恩義に感じてくれて、営業の仕事にもつながっていくんですよね。
ご自身がコロナ禍で考えを巡らせていた将来への答えも出せたのでしょうか。
お客様やチームだけでなく、会社自体を成長させていきたいというのが答えだったかな。とはいえ、ただの営業がいきなり会社のことをやりたいと言っても通用しない。だから資格取得は、部署異動を叶えるための武器としてとても大きかったですね。受かる前からすでにアピールしていましたし(笑)。
これからは、会社の看板を借りるだけではなく、中尾領佑として阪和に貢献していけるようになりたいですね。経営企画での業務はまだ3年目。道半ばですが、営業での経験も活かしながら、血の通った制度や戦略をつくっていきたいです。
最後に、就活中の学生さんにメッセージをお願いしてもいいでしょうか?
改めて、ここまで聞いていただいてありがとうございました。仕事は、やりたいこととやらなきゃいけないことの天秤だと思います。だから、自分がやりたいことができそう、面白そう、という視点でいろんな会社を見て回ってほしい。その結果、もし阪和興業に興味が湧いたら、ぜひ応募していただけたら嬉しいです。
