Projectプロジェクト座談会
日本屈指のプロジェクトを通じて見えた、
自分自身の姿。

2023年、都心に開業した新たな都市空間「麻布台ヒルズ」。約8.1haの広大な土地に、日本最高峰の高さ(2024年11月時点)330mを誇る森JPタワーを中心として、オフィスや住宅、商業施設、医療施設などあらゆる都市機能を集約した場を創出するという国内屈指の大規模プロジェクト。日本の建築史に残る壮大な事業に立ち向かった阪和興業の社員たちに、リアルな声を聞きました。
Member
【左】
北村 泰昭KITAMURA Yasuaki
2008年度入社。営業職として名古屋配属からキャリアをスタートし、現在は東京の鉄構営業部・鉄構営業第一課の課長として鉄骨工事の営業・施工管理を行っている。阪和興業の好きなところは「結果で判断してくれて、上下関係にうるさくないこと」。
【中】
古島 隆章KOJIMA Takaaki
2016年度の入社以来、名古屋支社で主に鉄筋製品の販売を6年間担当し、2022年に東京へ転勤。阪和の良いところは「熱意を持って一生懸命仕事に取り組む仲間がいることと、若手でもどんどん大きな仕事を任せてもらえること」。
【右】
森 航大MORI Kodai
この座談会では最年少の2019年度入社。以来、土木建材部一筋で土木工事の鋼材販売を担当する。自身が思う阪和興業らしさは「いろんな個性の集まり。年齢に関係なく責任のある仕事に挑戦できる社風」。
麻布台プロジェクトに参画した経緯
- 北村そもそも超巨大なプロジェクトだから、阪和以外にもたくさんの商社や建設会社が入って、各社で分担して工事をしたんだよね。たとえば鉄骨工事で言えば、全体で約15万トンある工事のうち約1.3万トンを阪和で受注した。ヒルズのシンボルである森JPタワーと、周辺の低層エリアの鉄骨工事で、僕がそれを担当した。
- 古島僕が所属するのは鉄筋コンクリートなど鉄筋材料を主に扱う部署ですが、2022年に名古屋から東京に転勤してきたばかりで、引き継いだのは工事が終盤に差し掛かる頃でした。森JPタワー周辺の住宅やホテルなどを兼ね備えたエリアで使用する鉄筋コンクリート2棟分のデリバリーを担当し、総重量は4万トン。転勤前の名古屋では5,000トンまでしか経験がなかったし、関東でも1万トンを超えると超大型案件って言われるくらいなので、最初にその数字を見たときは「え?」って感じでしたね(笑)。みんなそんな感じだったと思いますが。
- 森僕がこの案件を担当したのって、まさかの1年目だったんですよ。規模が大きいとは聞いていたんですが、まだ右も左も分からない頃に「森くん、やってみるか」って言われて。僕の扱う商材は、地下の土が建物に流れ込まないように壁を作るためのH形鋼と呼ばれる鋼材で、総量は6,000トン。この数字がどれほどなのかもピンと来ないまま「やります!」って。後になって「入社間もない自分にこれを任せるなんて、この人たち一体なに考えてるの?」って思いました(笑)。
- 北村・古島(笑)。
- 森部の命運がかかった仕事ですからね。1つのミスが、とてつもない損害になる。でも上司や先輩は、最後は自分たちが責任を持つという覚悟で、僕に成長の機会を与えてくれたんですよね。
- 北村この案件は物量もすごいけど、品質への目が徹底してたね。日本最高峰の工事だから、国内有数の技術力を持った設計事務所が全力で監理する。どんな些細な異変やミスも許されなくて、非常に難易度が高かった。もちろんこっちだって逃げずに、何が何でもやり抜くぞって気概で向き合ったけどね。
- 森僕はデリバリーが複雑で大変でしたね。メーカーから鋼材を仕入れて、加工場で加工して、完成品を現場に納めるまでが一連の流れですが、量が多いので、3つの加工場と連携する必要があって。さらに納入先も3ヶ所あるんですよ。つまり膨大な数の商品を3つの加工場×3つの納入先に分けるっていう、それを常に正確に手配するのはかなり神経をすり減らしました。

- 北村僕も鉄骨を製作する工場を5社も起用したよ。僕自身との付き合いが深くて、最後まで協力してやり切ってくれる信頼関係のある会社と組むようにした。大変だったけど、日本の都市開発の歴史に残るようなプロジェクトだから、やりがいはあるよね。
- 森僕も1年目を全て捧げるつもりで、気合い入れましたね。
かつてない激動の中で。
心に残る出来事と、支えになったこと
- 古島プロジェクトの中で、どんなことが印象に残っていますか?
- 北村鉄骨工場って、グレードでランク分けされてるんだよね。森JPタワーのような特別な建物には、日本に10社もない最高グレードの工場しか携われないから、そんなトップクラスの工場と一緒に仕事ができるというのは純粋にワクワクしたな。
- 古島今後、ウチとのパートナーシップにもつながりますしね。
- 北村そうそう。ただグレードが高い分、プレッシャーもあったよ。商社って右から左の流通に乗っかってるだけって言われるけど、実際はそんなことない。すごいリスクを背負ってやってるわけだから。今回も、運送中に鉄骨製品をぶつけて破損するというトラブルが起きたんだよ。だけど現場にはすぐ納入しないといけないから、現場の最寄りにある最高グレードの工場に頼み込んで、その日のうちに修理してもらって。翌日の朝イチで設計事務所の検査を受けて、なんとか搬入できた。どんなトラブルがあっても即座に対応できないと、お客様からも工場からも信頼は得られない。

- 古島現場は絶対に止められないですもんね。特にこういう案件だと関わってる人や機械の量がケタ違いなので、現場を1日止めるだけでとんでもない損害が出る。僕も、どんな短納期でも現場を止めることなく材料を手配するということに最も注力していました。
- 森僕、当時のことは激動すぎてあまり覚えてないんですよね。「明日の朝イチでボルト持ってきて!」とかの連続で。ピッチャー100人いる中でバッターボックスに1人で立って、打ち返しまくるみたいな感じでした(笑)。そんな状況でも、上司や先輩たちはすごく厳しくて。当時、このプロジェクトで精一杯で、他のお客様のところに行けてなかったんですよ。そしたら上司から「麻布台ばかりやってても何も成長しないよ」って言われて。正直「はあ〜!?」って思いました(笑)。それは叱責ではなく、僕のために言ってくれたのは分かっていたんですけど、絶対見返してやるっていう反骨精神でやってました。麻布台以外でも結果出すぞって。
- 古島さすが、阪和らしく負けず嫌いですね。それで覚醒した?
- 森はい。その気になれば、意外と時間って作れるもんなんですよね。今まで100使ってた仕事が、70の力でもできた。残り30で他の仕事ができる。意識の変化でこんなにパフォーマンスが上がるのかと驚きました。成長のきっかけを与えてくれたことに、今はすごく感謝してます。
- 古島分かります。僕は名古屋から異動する前、東京の何がそんなにすごいんやと思ってたんですよ(笑)。名古屋でのプライドもあって、正直甘く見てたんですよ。でも実際に引き継いでみると、これまでとは仕事の仕方を変えないと追いつかないぞ、って。
- 森先輩方は厳しかったけど、まるで部活のような良い意味での厳しさで、飲みに行くと面白くて優しい人たちばかりなんですよ。あの頃、僕に指導してくれた先輩は今では一番尊敬しているし、仲も良いです。
- 北村厳しさの中に優しさもあるよね。数年前、建築業界の景気が良かった頃にバンバン仕事を獲っていたら、資材の供給が追いつかなくなったことがあった。八方塞がりの中、オフィスに一人で残って仕事していたときに部長が現れて「何かできることないか」って言うんだよ。でも僕たちの仕事って一品一様のオーダーメイドだから、人には頼めない。部長もそれを分かった上で、わざわざオフィスに来て言ってくれて、新人がやるような事務的な仕事を何も言わず、膨大な量こなしてくれた。それは同じような苦境を乗り越えてきた、部長なりの激励だったと思う。
- 古島僕が支えられたのは、営業アシスタントの方々の存在でした。プロジェクトが終盤になると精算準備が始まるのですが、規模が大きく市況の変動も激しかったので、数量や価格の精査は気の遠くなるような複雑な作業だった。それをアシスタントさんが根気強く丁寧に資料にまとめてくれたので、なんとか交渉を終えられました。本当に感謝しています。
プロジェクトを経て。
手応えや、大切にしたいこと
- 森麻布台プロジェクトを通じて得られたのは、商社パーソンとしての自信ですね。デリバリー業務に関して起こりうることの9割ぐらいは経験できたし、仕入れ先と売り先の間に立って、ベストな落としどころを提案できるセンスが磨かれました。
- 古島僕は、歴史に残る案件に携われたという実感を得られたことが大きかった。テレビや雑誌で麻布台ヒルズを目にすると、やっぱり感慨深いものがあります。完工後に現地に行ってみたんですけど、改めて観るとこんな景色だったんだって。仕事で現場に行ってたときは緊張感もあるし、あまり周囲の風景を見たり完成像をイメージしたりすることがなかったので、実際に完成した建物を見るとじんわり手応えが感じられましたね。
- 北村みんなは仕事をする上でのモットーってある? 大事にしたいこととか。
- 森僕は学生時代から「Heart & Soul」っていう言葉をモットーにしていて。どんなことでも、最後は気持ち。今もずっとそれを大事に仕事しています。
- 古島その言葉、いいですね(笑)。僕はそんなかっこいいもんじゃないですけど、器用なタイプじゃないから時間をかけて一生懸命、真面目に愚直にやろうっていうのは心がけています。北村さんはどうですか?
- 北村そのときどきで大切にしていることは変わってきたけど、最近は、楽しく仕事したいっていうことかな。同じことをやるにしても、どうやったら楽しめるかを常に考えてる。仕事って基本は、堅苦しいし厳しいものじゃない?だからこそ楽しさを見出すことが大事だよなって。今回だって仕事としてはヘビーだけどさ、日本最大級のプロジェクトに携わってるって思えば一つひとつの作業への姿勢も変わるし、こういう意義の大きな案件に携わることで阪和自体のブランディングになるのもやりがいになるよ。

それぞれが描く、これからの展望
- 古島今回のプロジェクトを通じて、多くの人に支えられながら自分自身もレベルアップできたことで、阪和の強さ、底力を思い知りました。僕は東京に出てきて、地方ではできないような加工関連の取組などさまざまな経験をさせてもらえてるので、そこからさらに鉄筋以外の商材や海外の市場にも興味を持って、自分の世界を広げたいと思っています。ゆくゆくは新規ビジネスの創出に携わって、阪和のさらなる成長の中で自分の存在感を発揮していきたいですね。
- 森僕は、今後の阪和が市場で独自の存在感を発揮し続けるには、「阪和じゃなきゃいけない理由」が必要だと思っています。僕だから買ってくれる、それはもちろん嬉しい。だけど僕以外でも同じように買ってもらえるためには、企業としての強さをもっと磨いていかないと。ぶっちゃけ、僕が扱っている商材はウチじゃなくても手に入る。だからこそ、阪和ならではの価値、機能性が不可欠なんです。僕自身も海外やいろんなことに視野を広げて、その価値づくりに貢献したいですね。
- 北村長く建設業界を見ていると、人口減に伴って徐々に需要がシュリンクし、若年層を中心に業界の人気が低迷しているのが分かる。その流れを変えるようなムーブメントを、阪和発信でつくりたい。鉄骨に限らず、僕たちと関わっている中小企業を再生・活性化する事業を始めて、産業の底上げに貢献できるような動きだね。古い業界の慣習なんてみんなでぶっ壊して、業界全体で盛り上げていけたらなと思ってる。それには若い人の力が欠かせないから、就活生の皆さんも、この麻布台プロジェクトのようにデカい仕事にどっぷり浸かって成長したいって人には、ぜひ前向きにぶつかって来てほしいな。
