Interview社員インタビュー
挫折の先で、見つけた答え。
仲間とともに、未曾有の危機から日本を救う

中野 魁NAKANO Kai
2020年度入社。エネルギー第二部・化学品第一課に所属し、主に国内に向けた尿素の仕入れ・販売を担当。2022年度まで東京本社で勤務後、現在は大阪に駐在し西日本エリアでの販路拡大に尽力している。

毎日のように化学反応が起こる、
刺激的な環境
入社以来、尿素という商材をメインで取り扱っています。尿素は農業用の肥料をはじめ、製品の原料や有害物質の除去など、さまざまな用途に幅広く利用されている素材です。今は大阪本社に駐在し、西日本エリア全体の既存顧客に向けて製品を供給するほか、最近ではアジア向けの輸出業務なども担当するようになりました。
就活時は、英語を使った仕事がしたいという思いがありました。高校でアメリカに留学して身につけた英語が、自分の強みだったんです。また、学生時代に新聞社のバイトで記事の情報収集や編集に携わっていた経験から、発展途上国におけるインフラ整備などの社会課題がいかに深刻かを知って。こうした課題の解決に「鉄」が不可欠だと分かってから、ほぼ鉄鋼商社だけに絞って受けていました。特に阪和には同じ大学の先輩がいて、世界中を飛び回って仕事する姿が学生の頃より断然生き生きして見えたので、自分もこんなふうに働きたいと感じたことも入社した理由のひとつです。
入社前と後では、いい意味でのギャップばかりでした。一番大きかったのは、風通しが良すぎること。先輩や上司はもちろん、役員さんとも距離が近く「今日飲みに行くか」って話しかけてくるぐらいです。ただ意見が言いやすいだけじゃなくて、周りを巻き込んでシナジーを生み出しやすいのが阪和の魅力だと思います。僕はお客様との面談内容などを、僕の下の名前を取って「KAI NEWS」としてエネルギー部門全体に毎日メールで配信しているんです。するとそれを読んだ他部署の先輩が話を聞きたいって言ってくれたり、逆に尿素を使っているお客様を紹介してくれたり、化学反応が毎日のように起きていて面白いですね。

配属1週間で打ち砕かれた自信。
そこから見出した、今の自分にできること
僕、入社したとき英語には自信があったんですよ。留学したのは1年間だけど、その期間は日本からの連絡を断って、日本語を一切使わないって決めてたんです。でも英語は喋れないから友達もできないし、ランチはいつも独り。それがある日の休み時間、みんなでサッカーをして、中高でずっとサッカーやってたおかげで大活躍できたんです。「アンストッパブル」ってあだ名がついて(笑)。それを機にみんながどんどん話しかけてくれるようになったので、ものすごい勢いで英語力が伸びた。自ら厳しい環境に身を置いて習得した英語こそが自分の強みだと信じていたので、阪和でも英語を使ってバリバリやるぞ、っていうイメージを抱いていました。
ところが配属されたら、海外経験10年とか20年とかの先輩ばかり。僕の英語は全く強みにならなかった。正直、最初の1週間はすごく落ち込んで、自分を見失いかけました…。だけど立ち直りも早くて、くよくよしてても前には進めないなと、自分に何ができるのかを考えるようになったんです。とはいえ新人で知識も経験もない。そんな自分が、何をすればチームに貢献できる? っていう視点で考えた結果、出した答えが「誰よりも量をこなす」こと。周りが驚くほど圧倒的な量の仕事を引き受けることで、他メンバーが自由に動けて海外や他の業務分野に注力できるなら、僕もこのチームに欠かせないピースになれる、と。
今では既存顧客を約50社、他メンバーの倍以上の担当を持っています。泥臭いし不器用かもしれないけど、これが僕らしいやり方だなって。この仕事を4年間やって国内の尿素輸入のスペシャリストになれたという手応えが得られたので、ステップアップのために海外への輸出業務もやらせてほしいと手を挙げて、ついに英語を使う仕事に辿り着きました。

世界がパニックに陥った「尿素ショック」。
チーム一丸で、日本の危機を救った
今までで一番印象に残っているのは、2年目の頃に起きた「尿素ショック」です。当時、日本で使用される尿素の約4割は中国からの輸入に頼っていました。それが2021年に突如、中国が輸出を規制し、供給がストップしたんです。中国は日本だけでなく世界の尿素需要を支える超大国なので、世界中がパニックに。そこからは、尿素の争奪戦です。国内の尿素メーカーさんからの供給では足りない。ウチが確保できる在庫は1ヶ月分しかない。来月にはお客様の工場が止まって数億円の損失が出る。タイムリミットが迫る中、鳴り続ける電話にひたすら応対していました。
そんな危機的な状況で、課長がチームを集めてこう言ったんです。「この未曾有の危機に立ち向かうことは、確かに阪和にとっては大きなチャンスになる。他社にも絶対にマネできない。だけど、乗り越えるためには全員が死に物狂いでやり切る、相当な覚悟が必要だ。無理強いはできない。供給を守るか、それとも諦めるか、みんなで決めてほしい」
あのときに「諦める」っていう選択肢を提示されたことで、逆に心に火がついたというか。ウチの課長って、諦めるなんて絶対言わないんですよ。そんな人が、ある意味後ろ向きな選択肢を示してくれたことで、逆にやってやるって腹を括ることができた。今までこの人にお世話になった恩を返したい、阪和の存在感を示すチャンスを逃したくない、と。それは僕だけじゃなくて、チーム全員がそうだった。誰一人として、下を向いてた人はいなかったんですよ。このメンバーなら絶対に乗り越えられるっていう強い信頼がありましたね。
そうして打ち立てたのが、東南アジア製の尿素を輸入して供給を維持するという方針でした。当時、東南アジア製は品質が悪く、日本への輸入はほとんどなかったんです。そこで品質改善のスキームをつくって一定の品質を保てるようにし、お客様1社1社に対して「いつまで尿素の在庫がもつのか」「もたなかった場合の損失は」「どの程度の品質を満たしていれば使えるのか」などの情報整理と優先順位づけを実施。経済産業省を巻き込んで政府のバックアップを得ながら、綱渡りで供給をつないでいくという日々に突入しました。
このときも「誰よりも量をこなす」を貫き、記憶もないほどに目まぐるしく毎日が過ぎていきました。そして山場を乗り越えたとき、大げさじゃなく、日本の危機を救ったという実感がありました。その頃、化学品関連で初めて阪和が日経新聞に載ったんです。尿素の調達危機に対して、阪和が率先して東南アジアからの供給を促進しているっていう記事が。それがすごく誇らしかった。今は東南アジア製の尿素も品質が向上し、輸入量も増えている。そのきっかけを、僕らがつくることができたんだって。
達成感の一方で、反省も多々ありました。僕は自分のお客様を守ることで精一杯でしたが、このとき先輩たちが見据えていたのは、東南アジア製の尿素を海外の他の国へ輸出する、いわゆる三国間取引のチャンスでした。世界的に需要が逼迫していたので、尿素を輸出できれば世界の供給をも助けることができる。ピンチをチャンスに変える攻めの視点が、僕にはまだ欠けていたんです。
その反省を踏まえて、新しい取り組みに挑戦しました。尿素はフレコンという袋に充填して出荷するんですが、工場の都合やトラブルで予定通り充填ができないリスクがあるんです。でも僕らが自前で充填設備を用意すればリスクを低減できるし、メーカーのようなポジションでより効率的に、より原価を下げて供給できる。そこで設備投資を提案して、建設地の選定から設備の稼働まで、イチからお客様と協力して実現しました。悔しい経験があったからこそ、この投資プロジェクトにチャレンジして一歩前進できたかなと思っています。

自分自身の「機能性」。
ゼロからイチを生み出していきたい
僕、この課にいられることにすごく感謝してるんですよ。課長は、一人で化学品チームを立ち上げ、今では20人以上の課になるまで育て上げた人なんです。そんな人が「お前が真剣に全力でやるのなら、どんな責任でも俺が背負ってやる」ってずっと言ってくれて、僕が仕事でやらかすたびに、上司や役員に反論してでも守ってくれる。尿素ショックはしんどかったけど、2年目であんなすさまじい状況を乗り越える経験ができたので、もう怖いものはありません。商社パーソンとしての肝が据わったというか。今では課長ともチームのみんなとも「あんなことあったよな」って飲みながら話せるし、仲間との結束の強さと、その一員でいられる今の環境はかけがえのないものだと思っています。
そんなチームの中で、僕だからできること、いわば自分自身の「機能性」をどこまで発揮できるのか。簡単ではないし、プレッシャーも大きい。だけど膨大な量の仕事を引き受けるキャパを自分の強みにしてきたように、誰もやりたがらないことをやれば機能性につながるはずです。
そのために大事なのはスピード。自分にできることを見つけたら、誰かがやるより先に、即行動です。今、韓国のお客様と新しいビジネスの商談をしているんですが、さっき「あ、来週会いに行っちゃおう」って思い立って出張に行くことに決めました。このスピード感と、それが許される自由度の高さ、裁量の大きさは阪和ならではだと思います。もちろん出張には目的や成果が必要ですが、止められたことはありません。
これからも、自分ならではのやり方で、ゼロからイチを生み出す仕事に取り組みたい。次の目標はやっぱり、自分の本来の希望だった、海外で英語を使って仕事をすることですね。尿素をはじめ、化学品の市場には無限の可能性があります。脱中国が加速する中で期待値の高まるASEAN諸国に駐在して、その発展を肌で感じながら市場の最前線で開拓したい。それが今の自分にとって一番刺激的だし、成長につながる道だと思っています。ヨーロッパに住んで、思う存分サッカーを観ながら仕事するのもいいかもな、なんて考えたりもしますけどね(笑)。
